碧南市 妙福寺 (毘沙門さん)
愛知県碧南市の妙福寺は851年創建。聖徳太子作と伝わる日本三体毘沙門天の一体が祀られています。 徳川家康が伊賀越えから岡崎へ戻る際に立ち寄り武運を祈ったとも。手前左の楼門は刈谷城の辰巳櫓を移設。鐘はいつでも撞けます。
愛知県碧南市の妙福寺は851年創建。聖徳太子作と伝わる日本三体毘沙門天の一体が祀られています。 徳川家康が伊賀越えから岡崎へ戻る際に立ち寄り武運を祈ったとも。手前左の楼門は刈谷城の辰巳櫓を移設。鐘はいつでも撞けます。
碧南市はお寺の多い街です。路地の右側は真宗大谷派の西方寺。宗教哲学者の清澤満之(まんし)終焉の地です。 表通りには立派な隅櫓が存在感を際立たせています。左は醸造業でも有名な街の象徴ともいえる九重みりんの黒塀です。
碧南市にあった名鉄三河線の駅跡。2004年に廃止され、今はレールパークとして保存されています。 玉津浦は昭和30年代まで白砂青松の海岸で、駅も往時は海水浴客で賑わいましたが、閉鎖時は1日の利用が30人ほどでした。
松の並木道はかつて海に面した堤防で、文政10(1827)年5月、干拓地・前浜新田の南端に完成しました。 昭和31(1956)年、戦後食糧危機の打開策として外(画面左)側に新しい干拓地ができたため「畑の中の防風林」となりました。
碧南市にある「徳本稲荷」。あの「トクホン」の語源になった江戸時代初期の医師・永田徳本を祀っています。 徳本は小牧・長久手の戦いで豊臣重臣の池田恒興を討ち取った永井直勝の叔父にあたり、この地は直勝の生誕地でもあります。
碧南市の大浜漁港は、港としては14世紀ごろから物流の拠点となり江戸時代に整備され発展しました。 港としての歴史は明治に入ってから。いまは100隻ほどの漁船がマイワシ、カタクチイワシ、シラス等を水揚げしています。
愛知県高浜市を流れる稗田川に架かる「小橋」「法響橋」「中学橋」「吉野橋」あたりでは、毎年9月になると 堤防に咲く彼岸花が見られます。赤い花が有名な彼岸花ですが、ここでは時期によって白や黄色の花も楽しめます。
愛知県刈谷市に世界最大級の無線通信所として設立され、戦後はアメリカ軍が通信に使用した設備の跡地。 往時は250メートルの鉄塔が8基そびえ立ち、太平洋戦争時には、日本軍が「ニイタカヤマノボレ」の暗号を潜水艦へ発信しました。
愛知県豊橋市に残る渡し舟。市道の一部なので渡船は無料です。自転車やミニバイクも乗せられ通勤・通学に利用されていますが、 観光での乗船もできます。船が対岸にいる時は「呼び板」を叩いて合図を送ると、船が来てくれます。
真夏に大輪の花を咲かせるひまわりの畑。初夏から秋にかけて各地で見かけられますが、愛知県安城市榎前地区では 毎年9月下旬から10月に満開を楽しめるよう種まきを遅めにしているそうです。例年約10万本が植えられるそうです。
愛知県知立市は江戸時代は池鯉鮒と表記される東海道39番目の宿場でした。古来から知立神社が鎮座し、 盛大な馬市・木綿市が開催され、経済の要地だったということです。趣のある屋号看板は、東海道に残るかつての八百屋さんです。
愛知県岡崎市の瀧山寺三門は1267年に建てられた市内最古の建造物で、国指定重要文化財、仁王門です。 飛騨の内匠が山門建築の折、垂木1本を逆さに組んでしまい、それを恥じ自害したという言い伝えを記す塚が門の脇にあります。
愛知県みよし市の石川家住宅は、1910(明治43)年に、旧三好村初代村長の家として建てられ、 2011年にみよし市指定有形文化財となりました。「時代を封じ込めたタイムマシン」と評され、地域の有力者の生活様式を残す建物です。
愛知県新城市の鳴沢の滝は、豊川(とよがわ)の支流・当貝津(とがいつ)川にかかる滝で落差は15mほど。奥三河で随一の水量を誇り、滝つぼからは轟音が響きます。 両岸は花崗岩が鋭く侵食され、深い渓谷と絶壁を形成しています。
愛知県岡崎市の奥山田のしだれ桜は、およそ1,300年前に持統天皇が村積山へ行幸した際に植えたと伝えられるエドヒガンで、市の天然記念物に指定されています。 樹高約16m、枝の広がりが東西で約14m、南北で約16mあります。
愛知県岡崎市の郊外にある真福寺。伝承では聖徳太子建立46か寺のひとつとされ、白鳳時代の594(推古天皇2)年に物部真福(まさち)が建立したとされます。 現存する仁王門などは1494(明応3)年に再建されたそうです。